- 10月
- 2024年11月
とある場所に出かけて、そこでカチカチ山という童話の内容を見る機会がありました。とても有名な話なので、知っていたはずではあったのですが、実のところ詳細まで理解していたわけではありませんでした。今回、説明を読んでみると、かなり恐ろしい物語だったということを知って、とても考えさせられる物語だったと思い、ここで書かずにはいられませんでした。
カチカチ山のストーリーについて、大体の理解は「タヌキがいたずらをして、うさぎに懲らしめられる話」ということでしたが、実際には要約すると下記のような話です。
カチカチ山の基本的なストーリー
- あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
- タヌキが畑でいたずらを繰り返していました。
- おじいさんがたぬきを捕獲しました。
- おじいさんがたぬきを「たぬき汁」にしようと、おばあさんに託しました。
- たぬきはおばあさんを騙して殺してしまいました。
- たぬきはおばあさんを「ばばあ汁」として料理してしまいました。
- たぬきはおじいさんを騙して「ばばあ汁」を食べさせました。
- おじいさんに相談された友だちのうさぎは復讐をすることにしました。
- うさぎはたぬきを芝刈りに誘い、背負った芝に火をつけました。
- やけどを負ったたぬきに、うさぎはとうがらし入りの味噌を薬だと偽って背中に塗り、たぬきは痛みで苦しみました。
- うさぎはたぬきを漁に誘い、泥の船に乗せて海で船が溶けて溺れさせます。
- 溺れてしまいそうになり、うさぎに助けを求めたたぬきに対し、うさぎは艪でたぬきを沈めて溺死させて物語が終わります。
絵本にするには恐ろしいストーリー。
最初に驚愕させられるのが、たぬきがおばあさんを騙して殺し、あろうことか料理して「ばばあ汁」としておじいさんに食べさせてしまうところ。これは小学生が絵本で読むような話ではない、世にも恐ろしいホラーな話です。おじいさんは美味しい美味しいと食べてしまってから、それがおばあさんだと明かされるのです。おじいさんの悲しみやいかに。単におばあさんを殺されてしまうだけでも深い悲しみと、憤怒するところなのに、それを騙されたとはいえ自分が美味しいと食べてしまうのですから、自分をいくら責めても救われません。
たぬきの極悪非道な所業で、読者にたぬきへの憎悪が増したところで正義の味方としてうさぎが登場します。おじいさんを苦しめたたぬきを成敗することになりますが、そのやり方が陰湿ないじめのようです。背負っていた芝に火をつけるくらいならばまだしも、薬だと称してとうがらしを塗るという、簡単に鉄槌を打ち下ろして一思いに成敗するわけにはいかないぞ、という苦しみを与え後悔させてから死なせるという意図を感じさせます。
さらに、最後は泥船に乗せて溺れそうになるところで、助けを求めたたぬきを慈悲のかけらもなく叩き落として溺死させます。どうしても一思いに殺すわけにはいかなかったのでしょう。
このようにそもそもはたぬきが悪いのは明らかですが、うさぎの成敗の仕方も相当いじめを助長しそうなやり方です。必殺仕事人でも、極悪人を一思いに殺します。これがたぬきもうさぎも多くの人に親しまれて、可愛いキャラクターで掲示されていたり、キャラクターグッズが売られているのですから、相当シュールな印象を受けました。
なぜたぬきは何度もうさぎの言いなりになったのか。
考えてみると、たぬきは背中の芝に火をつけられたのに、なぜ薬だよと言われてうさぎの言いなりにとうがらしを塗られたのか。さらには、そんなうさぎに誘われて漁に出たのか。最後も、うさぎに助けを求めて無慈悲にも叩き落とされて死んだのか。
普通に考えると、うさぎが言葉巧みに騙したのだという解釈も取れますが、太宰治はたぬきはうさぎに惚れていたのだということで、「お伽草紙」美少女と男の物語として描いているようです(読んでません)。
★
そんなの知っているよ、という方が多いのかもしれませんが、私はカチカチ山のパネルを改めてよく読んでみて、その物語の恐ろしさに触れ、ここから私は何を学ぶべきかを考えました。
この物語は、報復の連鎖を描いているのだと理解しました。たぬきにいたずらをされたおじいさんは、自分に直接的に危害が及んでいないのにも関わらず、たぬきの命を奪い、さらには食べてしまうという報復手段にでようとしました。それが裏目に出て、最愛の人を失うばかりではなく、食べてしまうという世にも悲しい物語を生み出してしまいました。
たぬきは自分が殺されて食べられてしまうという事態から逃げ出すだけでなく、そのような事態を引き起こしたおじいさんへの報復として、最愛の家族を奪い、精神的に追い詰めるために食べさせてしまうという報復を選択しました。その結果として、たぬきはおじいさんの意を受けたうさぎの報復を受けることになります。
もしも、おじいさんがたぬきを諭すだけにしていたら、たぬきが拘束から逃れて2度と姿を現さなかったら。このような報復の連鎖は生まれませんでした。
これは人間の戦争の歴史とも重ねられる教訓なのだと思います。もっと身近なところでも、報復の連鎖による悲しい出来事がたくさんあります。ここから学んで、過ぎたるは猶及ばざるが如しというように、何事も行き過ぎないことが重要なのかもしれません。
そして、いくら悪いことをした相手であろうとも、報復として何をしても良いのかという問題もあります。正義のためならば執拗に相手を苦しめても良いのでしょうか。
現代社会においては、当事者であるおじいさんであっても、敵討ちは許されていません。ましてや、当事者ではないただの友人が仇を討つことなど当然法的には許されません。うさぎは殺人(殺狸)罪で逮捕間違いなしです(人ではないので器物損壊罪になるかもしれません)。そして、もしもおじいさんが依頼していたとしたら殺人教唆として、おじいさんも罪に問われることになります。うさぎの犯行の経緯によっては主犯として殺人罪に問われる可能性もあります(とはいえ、先におばあさんを殺されているので情状酌量の余地は大いにあると思うので刑は軽減されるでしょう)。
そんなことを富士山パノラマロープウェイで登った先で温かいコーヒーを飲みながら考えていました。みなさんはこのカチカチ山のストーリーから何を感じとるでしょうか。
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このブログを書いたスタッフ
プレジデント
ほっしぃ
音楽からMacの道に入り、そのままApple周辺機器を販売する会社を起業。その後、オリジナルブランド「Simplism」や「NuAns」ブランドを立ち上げ、デザインプロダクトやデジタルガジェットなど「自分が欲しい格好良いもの」を求め続ける。最近は「24時間365日のウェアラブルデバイス|weara(ウェアラ)」に力を注いでいる。
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